昭和56年4月10日 朝の御理解
第71節 ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。 夜夜中、どういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ 。子供がある者や日傭取りは出て来るわけにゆかぬ。病人があったり すれば、捨てておいて参って来ることはできぬ。まめな時ここへ参っ て信心のけいこをしておけ。
自分は、稽古をしておるつもりであっても、稽古が稽古になっていないというような事柄ありはせんだろうか。昨日、久富重雄さんが、葬儀ん時に話しておられましたが。昨日、何か(まえ?)を植えられた。そしたら、今日はお湿りのおかげを頂いてと。これは、久富さんの、まあ言うならば生活の上に、もう絶対、必ず頂けれる確信だと思うですね。たとえば、天地がバックになって下さるというほどしのおかげを確信出けるという事は素晴らしい事ですよね。
皆さん、何か一つでもね、これほど間違いのない神様というものを、自分の心の中に頂けてる、感じれれるという事が、私は信心の稽古、その成果であると思いますね。もうその辺が漠然として、長年信心を続けておる。神様がこの事だけは必ず聞いて下さるといったような確信。ね。
それは、それは人その人によって、それは稽古の、まあ手立てと言うかね。んー、まあ違うに致しましても。ね。それだけ、ハッキリと頂けれるようになると、やはり、いよいよ信心が有り難うなって行く。そして、楽しゅう、愉快になって来るというようなおかげが感じられる。これは、その前の日でしがた。これもやっぱり、久富さんところの国雄さんが、あちらの長男ですよね、お礼に出てみえた。
私共が御本部参拝しておる時に、えー、まっ、何でしょうか、野菜の、まあ中を、( )ちゅうのでしょうかね。田んぼで、白菜が出けておるが。白菜を買いに見えた。それで、すぐ電話で、こうして買いに見えておりますから、売っても良いでしょうかと。ちょうど、それを光昭が受けたらしい。そしたら、この度のは断ったが良かろうと言われた。それで、本当はもう、その白菜、もうちょっとすれば花が咲きそうな感じである。だから、本当に良い時に買いに来てもろうたのであり。ちょうど向こうから言われる値段も、まあ売って良いという感じであったけれども、まあ、とにかく神様にお伺いをしてからと言うていうたら、売らんが良かろうという事であった。
それから、まあ、その商いが出けずに帰られた。国雄さんとしては、まあ売ったが良かろうと思ったけれども、俺は、いわゆる、まあお父さんの一つの流儀というもの、信心は大してないけれども、まあ、覚えて行っておる訳である。そしたら、また数時間後にまた見えた。そして、いくら、いくら( )もらうから、どうじゃろうかというごと相談があった。それで、またすぐ電話でお届けをさせて頂いたら、んなら売ったが良かろうという事じゃった。
で、昨日お礼に出てみえたのは、その売り上げた分だけをお供えさせて頂くと言うて、まあお礼参拝をして見えたのでございます。ね、お父さんの信心のけいこが、それこそおかげはわが家で受けよといったような信心が、しかも子供にそうして伝わって行っておるという事。ね。私はそう思うんです。やっぱり、その信心がね、いわゆる、そのお父さんの信心は見習い、聞き習いででも、その分かって行くというおかげ。自分の信心のけいこの焦点というものがです。ね、これは自分は良か信心頂いとる、有り難い信心頂いとると思い、またおかげも頂きよると思うけれども、肝心要の子供が付いて来んから( )来ん。
これはちょっとおかしいぞという風に、やはり思うて、そこにまた焦点を置き直して信心のけいこをして行く。まあ、形のことだけでも、お父さんの信心の在り方というものを、子供達が生活の上に現して行く。ね。信心のけいこをさせて頂いておると、皆思うておるけれども。ね、それは、けいこはけいこになっていない。ね、この神様は間違いなかとがと。この事だけはと、例えば言うようなものがね、ね、( )を植えた。もう、お湿りがいるなり、( )あったら、必ず印にでもお湿りを下さる。本当に間違いのない神様だと、それを信じいる、それが、なら家庭の中にも浸透して行く。
ね、だから形だけでも、その真似方でもそれを子供達が実行して行っていく内に、信心とはなるほど、ある意味合いでは便利なものだと思うたり、有り難いモンだという事に育って行く事であろう。ね。お互い信心のけいこをさせて頂いておるつもりではいけません。ね。
どこに自分の焦点と言うか、信心のけいこというものが、ね、これだけは間違いないですもんねと、まあ、あれもこれもとは言えなくても、これだけはと言うならば確信の持てる信心を、自分のけいこの上に、自分のけいこしておるつもりの信心に、もう一偏、言うならば信心の定規を押し当てて見なければいけない。心は信心の定規じゃによってと言われるが。ね、その自分の心をもう一偏確かめる為には、おかげの定規がいるという事でございます。どうぞ。